fromMrA 61M
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8/5/2006 11:11 am

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8/5/2006 11:51 am



 とうとうビデオを見ないまま返却に行った。
 納得できないので再度ラブロマンスを探す。
あった。日本の「ロマンス」。先日は少しアルコールが入ってたせいだろうか、気づかなかった。場所も悪いしコーナーも縮小されている。いつのまにかDVDが主体。DVDの機会は娘が自室に取り込んでいる。パソコンでみれないこともないが。画面が小さい。
 それにしてもここに並んでるタイトル???「完全飼育日記」・・・・もはやフィクションでさえ純愛は存在し得ないのか?結局「最後の恋、初めての恋」を借りて帰る。
 まだみてない。時間がなかったこともあるが、実は中身にさほど興味があるわけではない。いわば「魔よけの御札」。

 昨日、「なんどめかの脱皮」と書いた。やっと自分の中にある扱いに苦慮してきた「自分の性の闇」を認める気になった。そうしなければいつまでたっても、同じところをぐるぐる回っているだけだと気づいたから。このサイトで自分の性がさほど異常でないことに安心したこともある。
 一言で言えば「性的禁忌(タブー)への強い親しみ」。
 小学校6年のときの初めても夢精、オナニーとの出会いからはや50年。その間私の性的イマジネーションは膨張し続けた。少・青年期には射精と共に夢想は終わり自己嫌悪が襲うのが男性の常。やがて性を客観的にみれる年頃になり、そのような自己嫌悪が無くなったが、別の種類の自己嫌悪に悩まされることになった。「オレは異常者ではないか?」
 具体的な内容はその時、時代によっても変化した。変わらぬのは、変態、性的異常、触れてはいけないとされる領域への興味。憧れ。決して実践はしない、できないこと故に夢想は膨らみ続けた。
 ことが終わると、やはり深い自己嫌悪がやってきた。
「いけない、これは危険な領域だ」。道徳的なオレはそんなことを思い浮かべる自分を否定した。外に対しは気取られぬよう、逆に性的に潔癖に見せようとした。

 いつしか自分でさえその存在に気がつかない振りをするようになった。
 初体験は22。当時のオレの時代、環境ではまあ普通。今の女房。それに先立つ一年前からはガールフレンド以上。会えばキスし、車の中で乳首を吸った。今思えばほほえましいH。普通の青春か。それ以降、特に性的に不満はなかった。だから未だ女性経験ひとり、妻のみ。
 彼女は、最初から男性の生理を理解してくれた。だからよっぽどのことがないかぎり、いつでもオレを受け入れてくれたから。たとえ38度の熱で伏せってるときでも。もちろんオレは無理強いしないよう注意深くアプローチしたが。
 だから自分の性環境に満足していた。つもりだった。しかし、今考えると、そんな中でもマスターベーションをし続けたのはやはり満足していなかったのでは。特に妻に隠さなかった。妻との交わりが終わっても、自分が終わってないことがしばしばだった。妻が淡泊だったのか、オレが強かったのか比較がないので分からない。妻がいくまでオレはいかないという覚悟があったのは確かだ。これを愛情といって良いものか、とにかく。
 妻は、最中に「まだでないの?」とよく言った。「女性に性欲ないの」も口癖だった。オレが下手だったとも思わない。研究熱心で器用なオレは十分満足を与えていたつもりだ。彼女も「もう当分いい」とよく言った。でも決して乱れることは無い女性。あの時も眉間にしわを寄せ声を出すことは無かった。それは恥ずかしいことだそうだ。彼女とつきあってこれまで、彼女から求めてきたのは2回。よく覚えてる。もちろん何となくはいくらでもある。結婚以来今もダブルベッドだから。
 長くなったが、そんななか、妻が終わった後に一人でマスターベーション。彼女は「中で出してもいいよ」。そう言う状況でではセルフの方が早い。他のことを夢想しながら。
 今思えば、自分の性的夢想(タブー)を彼女に実践したこともある。というより最近までしてきた。たまに目覚める情動に動かされて。いきすぎた愛情と思いながら。内容は彼女を性的に辱める事柄。割と受け入れてくれた。でもその行為の実現が目的ではなかったのに気づいた。一緒にその辱めを受け入れることを性的喜びに感じて欲しかったのだ。つまりSM。自分は自他共に認める紳士。SMとは肉体的痛みと理解し、関係外としていた。ロールプレイの意味を理解することで、やっと自分の性癖を知ることができた。
 過去の自分の性衝動を点検し直した。共通するのは「聖なるものを汚す喜び」「道徳的にいけないとされることを犯す喜び」。具体的にはちょと書けない。

 自分の性の暗部。性が生きることのどれほどの部分をしめる事柄かわからない。しかし、自分が生きることに迷い、ここにたどり着き、いまこんなことを思うに至った。「自己の解放」「孤独からの逃走」が即、「自己の性の解放」とは思えないが、ひとつのヒントではあるのだろう。
 
 この結論に興奮はしてない。「ああそうだったのか」という気はある。気にしていない振りをしながら、妙に対面を重視しすぎることによって苦しい立場を経験してきた自分だから。すこし自分の性に素直になってみようと思う。

私が彼女に見たものがいま分かった。「清と淫」。そしてその強烈な刺激に狼狽した。

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